フランスワイン紀行 ブルゴーニュ編-2
クロヴージョから、わずか2キロくらいでしょうか、パスでも数分くらいの所に、世界中に名の知れたクリマのあるアペラシオンがある。このあたりをヴォーヌ・ロマネ(Vosne-Romanée)といいます。
その圧倒的な、優雅さと気品のある輝くばかりの絹のようななめらかさは、フィネスを強く感じさせる芸術的なものです。
その中で、最も輝く、クリマへ足を運びました。
8つのグランクリュ、その中で6つがモノポールになっていてます。他に周囲に15のプルミエ・クリュが構成しています。
国道74号線から、右折、しばらく行くと道は狭くなり、徒歩です。
畑に横たわる一台のルノー、なんとも素っ気ない感じがする。
でも、何気なく、歩きながら畑の区画の石垣に目をやると、なんと、ロマネ・サン・ヴィヴァン (Romanée-St-Vivant)があったりと、びっくり!!
ロマネ・サン・ヴィヴァン(Romanée-St-Vivantのピノ・ノワールだ!
ここの土壌の特徴は石灰岩質の表土(平均90cm)で礫岩が少ない。ヴージョの土壌は、礫岩が多かったことが比較される。
しばらく、歩くと正面に、石垣で仕切られた一角にクロスの象徴の構造物。その向こうがあの偉大なクリマがあります。"Romanée Conti"
7/5 15:15
"Romanée Conti"である。私自身もやっとここに来たんだという実感が、じわじわと感じ始めました。まだ、味わったことがありませんが、生涯、出会えないかもしれません。
~その歴史~
古くは、中世に遡るサン・ヴィヴァン修道院(現在のロマネ・サン・ヴィヴァンの由来)が1131年に時のブルゴーニュ公ユーグ2世より譲渡されたのが、始まりらしい。それから、16,17世紀有力な貴族の手から手へと所有者のが変わり、18世紀に所有したのが、名前の由来ともなったコンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンである彼は、時のルイ15世の従兄弟であった。
それから、自由の象徴であるフランス革命によって、土地は没収され、19世紀も様々な所有者の変遷を経て、1912年に今の母体であるドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンテイが設立。その後の経営を行ったアンリ・ルロワが成功を収めた。彼の没後、娘のラルーが92年まで継承、現在では、ルロワの縁者のアンリ・フレデリック・ロックが経営を行っている。(ワイナート49より)
その歴史的な変遷が、現在の栄華と高貴さを象徴しているのかもしれない !
クリマの特徴は、中腹で標高262~272mくらいで、5~10%くらいの傾斜。痩せた浅い土醸、石灰質で表土(約70cm)である。中央にわずかな窪地があり、そこで崩落土を受け止める働きをしてい
る。(ワイナート49より)
、
、
土壌サンプルより、とても礫岩が多いのが解る。細粒は黄土のような感触があり、匂いは乾燥したニュアンス、サラッとしている。この土壌から、あの芳香性のあるアロマ(野バラ・すみれなど)が生まれます。
樹齢は、1948年 94年 97年 05年 08年 (ワイナート49より)
若木の植え替え、2008年頃か!?
やがて、2ヵ月後は、輝かしい宝石になるだろう !
右手にリシュブール(Riechebourg)の大きなクリマが弧を描いて、東北東に向いている。
"1001WINES死ぬ前に飲むべきワイン"という書籍があるが、まさにその通り、至福の時でありたいとそう願わずにはいられない。
次回のボーヌへとつづく
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)





ば、勉強したなあ~
、大型のバスは通行できないそうです。
、交通量も少ないのに驚きだ!
く快適です。 
になったきっかけでした。
ムール貝のフリカッセ フヌイユの香り)

だきました。


最近のコメント